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蛋白分子の水和自由エネルギーの評価のための基礎的研究

氏名 平嶋 整
学位の種類 博士(工学)
学位記番号 博甲第57号
学位授与の日付 平成4年3月25日
学位論文の題目 蛋白分子の水和自由エネルギーの評価のための基礎的研究
論文審査委員
 主査 助教授 増田 邦嗣
 副査 教授 三井 幸雄
 副査 教授 矢野 圭司
 副査 教授 松野 孝一郎
 副査 助教授 陶山 明

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目次
1.緒言
1.1 蛋白分子と水の相互作用 p.2
1.2 本研究の背景と概要 p.3
2.溶質の移相自由エネルギー p.6
2.1 序論 p.7
2.2 溶質分子の化学ポテンシャル p.9
2.3 移相自由エネルギー p.13
2.4 原子移相パラメタ(ATP)と原子水和パラメタ(AHP) p.17
2.4.1 真空から任意の溶媒への移相 p.19
2.4.2 任意の溶媒から別の溶媒への移相 p.19
2.5 考察 p.21
3.中性アミノ酸の原子移相パラメタ p.23
3.1 序論 p.24
3.2 理論的基礎 p.25
3.3 計算方法 p.28
3.3.1 アミノ酸のコンフォメーション p.28
3.3.2 内部エネルギー計算のためのパラメタ p.29
3.3.3 溶媒和エネルギー計算のためのパラメタ p.30
3.3.4 原子種 p.30
3.3.5 モデルの選択 p.31
3.4 結果と考察 p.32
3.4.1 モデルの適正度と原子移相パラメタ p.32
3.4.2 ATPの推定における他の効果 p.41
3.4.2.1 アミノ酸のコンフォメーション分布の効果 p.41
3.4.2.2 溶媒効果に分子内相互作用を含めることの効果 p.41
3.5 結論 p.45
4.解離性アミノ酸の原子移相パラメタ p.47
4.1 序論 p.48
4.2 理論 p.49
4.3 計算方法 p.52
4.4 結果と考察 p.54
5.アミノ酸関連分子の原子水和パラメタ p.63
5.1 序論 p.64
5.2 理論 p.64
5.3 計算方法 p.66
5.4 結果と考察 p.71
5.4.1 40種の関連分子についてのモデルの適正度の解析 p.71
5.4.2 解析に用いる分子種に対するモデルの適正度AHP値の依存性 p.76
5.4.3 アミノ酸の水和自由エネルギーに対する主鎖・側鎖原子間の干渉効果 p.88
5.5 結論 p.97
謝辞 p.99
参考文献 p.100

 遺伝子操作技術を用いて天然蛋白分子の機能を改変したり、全く新しい人工蛋白質を設計したりする蛋白質工学は、バイオ先端技術として多くの期待を集めている。蛋白質工学が技術として確立されるためには、設計された蛋白分子の構造安定性や機能が十分な精度で予測できる必要がある。立体構造安定性は、蛋白分子の生(native)状態と変性状態間の自由エネルギー差で与えられる。水溶液中での生状態から変性状態への構造変換は、生状態での水相から第2溶媒相への移行、第2相中での構造変換、変性状態での第2相から水相への移行に分解して考えることができる。従って、もし第2相中での変性自由エネルギーが独立に見積もられとすれば、立体構造安定性を予測するためには、任意のコンフォメーション状態にある蛋白分子を、第2相から水相へ移相したときの自由エネルギー変化を見積もれれば良いことになる。本研究の目的は、蛋白分子の移相水和自由エネルギーを評価するために必要なアミノ酸とその関連分子の移相水和自由エネルギーの値を予測するための基礎を確立することである。
 上の目標を達成するために、先ず増田教官と共に、統計力学的考察に基づいて、任意の溶質分子の2相間での移相自由エネルギーに対する一般式を与えた。そしてこれを用いて、アミノ酸関連分子の移相水和自由エネルギーを近似的に評価する方法を開発した。そこでは、先ず基本的な仮定として、Eisenberg等やOoiと同様に、分子の移相水和自由エネルギーは、それを構成する原子の水中での露出表面積(ASA)の線形結合で与えられるとする。従来の扱いでは暗黙の内に、分子内原子間相互作用は水和効果に繰り込まれてきたが、この研究では陽に考慮した。さらに、分子のコンフォメーションゆらぎもボルツマン因子によって正しく取り込んだ。一方、炭素原子に結合する水素原子は炭素原子と一体化させる、合同原子(united atom)近似を用いた。
 はじめに第2相が、蛋白分子の内部の物性を近似する極性有機物質と考えられるオクタノールの場合に適用した。そして、アミノ酸関連分子の2相間での分配係数の実験データから求められる移相自由エネルギーの値に、理論式を最小自乗フィットさせた。これから、アミノ酸を構成する各原子について、単位露出表面積当たりの移相自由エネルギー(原子移相パラメタ、ATP)を決定した。この際、全構成原子を水和熱力学的に独立な原子のグループに分類する多数のモデルについて、上のフィットを試みた。フィットの良さは、赤池の情報量基準によって客観的に判定した。
 次に、上の手法を第2相が真空の場合に適用し、単位露出表面積当たりの水和自由エネルギー(原子水和パラメタ、AHP)を決定した。以下に、これら2種の解析の結果を述べる。
 アミノ酸誘導体(N-acetyl-amino-acid-amino)をオクタノール相から水相へ移相したときの原子移相パラメタを求めた。解離性側鎖を持つアミノ酸(Asp, Glu, Lys, Arg)を除く16種類のアミノ酸誘導体について、最小自乗フィットを行った。その結果、Jorgensen等による量子化学計算から0.18以上の部分電荷を持つ炭素原子(以下Cpと略す)は、それ以外の炭素原子に比べて有意に親水的であることが分かった。これは、これらの炭素原子は全て極性原子(窒素、酸素、硫黄の各原子)と結合しており、その影響によるものと考えられる。また、β炭素をCpグループに含めると更にフィットが良くなることがわかった。これらのことから、分子の水和自由エネルギーを精密に評価するためには、構成原子の固有の性質とともに、原子の隣接効果を考慮する必要があり得ることが示唆された。
 4種類の解離性側鎖を持つアミノ酸誘導体については、上の解析から最適と判定されたモデルに対するATP値を用いて、非解離状態での移相自由エネルギーを求めた。これに、側鎖のpKa値から求めた解離に伴う自由エネルギー変化を加えて、オクタノール相から水相への移相の自由エネルギー変化を求めた。その結果、計算値はは実験値よりも有意に負で大きい値となった。この結果と関連する考察から、Asp, Glu, Argではかなりの割合が、Lysでも一部が、オクタノール相でもイオン化した状態で溶解していることが明らかになった。
 次に有機低分子物質の水和自由エネルギーの実験データを基に、ATPの場合と同様にして原子水和パラメタ(AHP)を見積もった。その結果、窒素原子と酸素原子は負で大きな値を持つのに対して、硫黄原子の親水性はかなり低いことが分かった。Cp炭素原子はATPの場合と同様に、他の炭素原子より低いAHPを持ち、より親水的であることが分かった。また、脂肪族炭素は疎水的であるのに対し、芳香族炭素は幾分親水的であった。
 同じ原子種でも分子内での位置によって、ASAが大きく異なる場合がある。複数のこのような原子団、特に極性のそれを含む分子については、予測値と実験値との差が大きくなる傾向がみられた。このことは、水和自由エネルギーが構成原子のASAの線形結合で表されるという仮定が、特に極性原子については近似的にしか成り立たないことを示している。
 上で求めたAHPを用いて、アミノ酸誘導体の水和自由エネルギーと、グリシン誘導体とアミノ酸側鎖相当分子の水和自由エネルギーの和の比較を行った。その結果、アミノ酸誘導体の水和エネルギーに対する主鎖と側鎖の原子間の干渉効果は、主鎖および側鎖のコンフォメーションに強く依存すること、また、多数のコンフォメーションについての平均としては親水性を下げる効果をもつことが分かった。
 以上の結果は、蛋白分子の水和自由エネルギーを見積もる上で、多くの基礎的情報を提供するものと考えられる。

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