蛋白質溶液構造研究のための溶液X線散乱解析法の開発
氏名 関 安孝
学位の種類 博士(工学)
学位記番号 博甲第223号
学位授与の日付 平成13年3月26日
学位論文題目 蛋白質溶液構造研究のための溶液X線散乱解析法の開発
論文審査委員
主査 教授 曽田 邦嗣
副査 教授 松野 孝一郎
副査 教授 福田 雅夫
副査 助教授 城所 俊一
副査 助教授 野中 孝昌
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1.序論 p.1
1-1. 蛋白質の立体構造と安定性 p.1
1-2. 部分分子容 p.2
1-3. 溶液X線散乱法 p.2
1-4. 研究の目的 p.4
2.方法 p.5
2-1. 蛋白質の表面積と体積の解析的計算プログラムの開発 p.5
2-1-1. 露出表面積の計算法 p.6
2-1-2. 溶媒排除体積の計算法 p.9
2-1-3. 分子表面積の計算法 p.12
2-1-4. 分子体積の計算法 p.15
2-1-5. 蛋白質の原子半径と水分子の有効半径 p.19
2-2. 溶液X線散乱プロフィルの計算プログラムの開発 p.20
2-2-1. 溶液X線散乱法 p.20
2-2-2. 散乱プロフィルの計算法 p.22
2-2-3. 散乱プロフィルに対する溶質・溶媒水の寄与の分解 p.24
2-2-4. 表面積分法による溶媒のコントラスト効果の取り込み p.27
2-2-5. 散乱プロフィルの解析法 p.31
2-3. 分子動力学シミュレーション p.34
3.蛋白質の部分分子容 p.36
3-1. 溶液X線散乱測定における部分分子容の重要性 p.37
3-2. 部分分子容における水和の寄与 p.39
3-2-1. 水和層モデルによる解析 p.40
3-2-2. 分子体積と露出表面積による解析 p.43
3-2-3. MDシミュレーションによる考察 p.46
3-2-4. 有効分子体積による解析 p.48
3-3. MDシミュレーションによる蛋白質の部分分子容の解析 p.56
4.蛋白質の溶液X線散乱プロフィルの解析 p.61
4-1. 散乱球による散乱プロフィルの計算 p.61
4-2. 実測との比較 p.65
4-3. 溶媒水の寄与の分解による解析 p.68
4-4. 水和領域の同定 p.76
4-5. 溶媒モデルの構築 p.79
5.結論 p.85
5-1. 水和を考慮した部分分子容の解析 p.85
5-2. 蛋白質の溶液X線散乱における水和効果 p.87
付録1.表面積分法のための微小面への分割 p.90
付録2.蛋白質及びモデル分子の部分分子容データ p.94
謝辞 p.102
参考文献 p.103
蛋白質の機能は, 生理的な溶液条件下における, 唯一の立体構造である天然構造を形成することによって発現される。従って, 蛋白質の溶液構造を知ることは,その機能発現の分子機構を理解する上で必須である。また,蛋白質の立体構造安定性の尺度は,天然状態と変性状態の自由エネルギー差であるから,天然状態と共に変性状態(より一般的には非天然状態)の蛋白構造を知ることは蛋白質の安定性を議論する上で不可欠である。溶液X線散乱(SXS:solution X-ray scattering)法や部分分子容(PMV:partial molecular volume)解析法は,天然・非天然にかかわらず溶液中の蛋白質の,主に大局的な構造情報(分子の大きさや形状など)を与える優れた測定法である。しかし,SXS法やPMV法は,その実測値を構造と結びつけることが困難であり,構造情報を抽出するためには計算機を用いたシミュレーションによる予測と実測との比較が必要である。その際,蛋白質分子表面で溶媒水分子が水和することによる効果が,それらの測定にどの様に寄与するかを取込んだ解析が必要である。本研究の目的は,SXS及び,PMVの実測値に水和がどの様に寄与しているかを明らかにすると共に,実測との定量的な比較を可能にする予測計算プログラムを開発することである。
PMV解析のために,構造(原子の空間座標)データを与えられた分子に対する,溶媒露出表面積,溶媒排除体積,分子表面積,分子体積を解析的に計算するプログラムを開発した。このプログラムを,蛋白質の天然構造と非天然構造のモデル分子としてのアミノ酸などに適用して,それらのPMV値を解析した。その結果,蛋白質やアミノ酸などのPMV値を統一的に解釈するには,溶質分子の分子表面と水和水分子との間に生じる隙間を考慮することが重要であることが分かった。溶質分子の分子表面上の一様な幅(δR0)の層状の隙間があるとすることと,水和による溶媒の体積変化が各原子種の露出表面積に比例するという2つの近似によって,全ての分子種のPMV値を統一的に説明することが可能になった。この解析から得られたδR0値は約0.02nmであった。水和による体積変化は,非極性原子表面では増加,中性極性原子表面では若干の増加,電荷極性原子表面では減少となった。また,このようにして決めたδR0値と各原子種の水和パラメータを使うことで,立体構造既知の分子に対するPMV値を予測することが可能になった。これは溶質分子の種類によらないので,天然構造のみらず非天然構造に対する解析にも適用可能である。
次に,蛋白質のSXS解析のために,実測との定量的な比較が可能な散乱プロフィルを計算機シミュレーションにより再現する計算プログラムを開発した。このプログラムを用いて天然構造のミオグロビンの散乱プロフィルを計算し,それが実測の散乱プロフィルと良く一致することを確かめた。また溶液を,蛋白質領域,水和領域,バルク水領域に分解することによって,散乱プロフィルに対する各領域からの寄与を詳細に調べた。その結果,散乱プロフィルの大部分を占めている蛋白質領域の寄与は,蛋白質からの散乱だけではなく,蛋白質により排除される溶媒の散乱の寄与が,特に大角領域において無視できないことが分かった。水和領域からの寄与は,水和領域の水分子と蛋白質との空間相関,水和領域内の水分子同士の空間相関による散乱への寄与も共に零でないことが分かった。特に小角領域の散乱プロフィルにおける水和領域の寄与は,蛋白質表面から水分子の半径である0.14nmの層状の空間に水分子の中心が入れない結果として必ず生じる真空と,その周りに電子密度の高い層状の領域が生成されることで定性的に説明できることが分かった。これは水和領域の小角領域への寄与が,平均の電子密度を使った水和モデルで近似できる可能性を示唆する。また,散乱プロフィルに寄与する水和領域は,蛋白質表面から,0.54nm以内の領域であることが分かった。これは水分子約2個分に相当する。蛋白質分子表面から0.54nm以上離れたバルク水領域からの散乱は,溶液と溶媒の各々の散乱プロフィルでは無視できないが,溶液の散乱プロフィルから溶媒の散乱プロフィルを引いた差で与えられる実測の散乱プロフィルには,実際上寄与しないことが分かった。これらの結果を踏まえ,溶媒の電子密度を構造因子について平均する近似法の導入により,より短時間で計算可能な3つの水和モデルを構築した。これらのモデルは計算の精度と,時間をおいて一長一短があり,どのモデルが良いかはモデルの使い方に依存する。これらの水和モデルにより,これまで議論されてこなかった大角領域のプロフィルの解析が可能となり,その結果,より詳細な構造の議論が可能になると思われる。また,開発したプログラムはいずれも分子の構造によらないので,前述のPMV解析と合わせて,蛋白質の非天然構造の解析に威力を発揮すると期待される。