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分子動力学シミュレーション法によるタンパク質の体積ゆらぎの解析

氏名 森 一樹
学位の種類 博士(工学)
学位記番号 博甲第439号
学位授与の日付 平成19年8月31日
学位論文題目 分子動力学シミュレーション法によるタンパク質の体積ゆらぎの解析
論文審査委員
 主査 教授 曽田 邦嗣
 副査 准教授 城所 俊一
 副査 教授 森川 康
 副査 准教授 本多 元
 副査 准教授 北谷 英嗣

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第1章 分子動力学シミュレーション法によるタンパク質の部分圧縮率の解析 p.3
 1.1 序章 p.3
 1.2 結果 p.7
 理論的背景、不均一系の圧縮率 p.7
 分子動力学シミュレーションの条件 p.9
 タンパク質のゆらぎの定常性 p.11
 固有体積の取り方と水和効果 p.13
 分子体積のゆらぎとタンパク質の圧縮率 p.15
 分子内空隙の圧縮率 p.18
 分子内の圧縮率の不均一な分布 p.21
 水和水の動径密度関数と加圧効果 p.28
 部分圧縮率への水和水の寄与 p.31
 EndoglucanaseIIIの圧縮率推定 p.38
 1.3 考察 p.40
 不均一系としてのタンパク質分子の体積ゆらぎ p.40
 固有圧縮率の推定と水和効果 p.40
 物理的に厳密な固有体積の定義は困難である p.41
 固有体積=構成体積+空隙体積 p.41
 タンパク質の圧縮率への寄与の解析 p.42
 排除体積の問題点 p.43
 ボロノイ体積の問題点 p.43
 計算機シミュレーションによる圧縮率推定の問題点 p.45
 1.4 解析手法 p.48
 対象タンパク質 p.48
 MDシミュレーション法 p.48
 体積量の計算法 p.49
 1.5 結論 p.51
第2章 分子動力学シミュレーション法による、タンパク質の体積ゆらぎ動力学とTHz振動モードの解析 p.52
 2.1 序論 p.52
 2.2 結果と考察 p.54
 分子体積ゆらぎの時間相関関数とパワースペクトル p.54
 異なる周波数域における体積ゆらぎの分子機構 p.79
 周波数領域別の残基占有体積ゆらぎの残基間相関地図 p.90
 二次構造要素の占有体積ゆらぎの自己・相互相関スペクトル p.98
 2.3 結論 p.103
 謝辞 p.105
参考文献 p.106

 多くの生物機能を担う球状タンパク質の天然構造は、1つの立体構造に固定されている静的な構造ではなく、熱運動によって多数の準安定構造の間をゆらぐ動的な構造である。このような分子構造のゆらぎは、タンパク質の機能発現において重要な役割を果たしている。従って、タンパク分子の動力学的挙動の詳細を明らかにすることは、機能発現の分子機構を解明する上でも重要である。
 本研究は、水溶液中の5種類のタンパク質、 ?-lactoglobulin、cytochrome c、lysozyme、myoglobin、ribonuclease Aについて分子動力学シミュレーションを行い、構造ゆらぎの特性を明らかにすることを目的としている。タンパク質の構造を表すパラメータとして分子体積に着目し、原子座標から得られる分子体積のゆらぎの特性と水和の寄与を解析した。
 第1章では、分子体積のゆらぎの大きさから、タンパク質の圧縮率を推定した。圧縮率は物質の軟らかさを表す物性パラメータであり、機能との相関が報告されてきた。しかし異なるタンパク質間での軟らかさの違いを決める分子機構は、未だ解明されていない。本研究では、タンパク質の固有体積として分子体積を採用し、そのゆらぎから固有圧縮率を推定する手法を確立した。得られた固有圧縮率は、これまで予想されていたよりもずっと低い値であった。更に水和の寄与を評価して、水溶液中のタンパク質の部分圧縮率を推定した。得られた部分圧縮率の値は、実験値をよく再現した。その結果、タンパク質の軟らかさを決める要因は、これまで重要と考えられてきた水和状態の違いより、むしろ分子の内部構造の違いにあり、分子内部の空隙の間での体積変化の相互相関が重要であること、また、それらの分子内空隙は会合性液体並の軟らかさを持つことが明らかになった。酵素タンパク質の機能向上への足がかりとすることを目的として、糸状菌Trichoderma reesei由来のセルロース分解酵素、EGIIIについて同様のシミュレーションを行った。推定された固有圧縮率から、EGIIIは比較的硬いタンパク質であることが明らかになった。これを軟らかくするような変異部位の探索が、機能向上に繋がることが期待される。
 第2章では、分子体積のゆらぎの自己相関関数や周波数スペクトルの解析により、タンパク質の動力学的特性を調べた。近年、タンパク質の非弾性中性子散乱実験から、低温でTHz領域に固有振動数を持つ内部振動モードに因る 'Boson peak' が発見されたが、その生成機構は未だ解明されていない。本研究では、これらの実験とは観測量が異なるにも拘わらず、同じ周波数域に、振動成分があることを示すピークが観測された。本研究では、この振動成分を中心に、タンパク質の体積ゆらぎの動力学的特性を詳しく調べた。タンパク質の体積ゆらぎのパワースペクトル密度S ( ) は、振動成分が観測された中間周波数域(IF、周波数f = 0.7-1THz)を境として、周波数f の上昇に伴い、低周波領域(LF)では1/ fに、高周波領域(HF)では1/ f 2 に比例して減衰することが明らかになった。真空中のタンパク質のMDシミュレーションデータとの比較から、振動成分の起源は水和水ではなく、タンパク質自身であることが分かった。体積ゆらぎの分子機構を調べるために、分子体積を構成残基の占有体積に分割して、分子体積のゆらぎの相関を残基占有体積のゆらぎの自己相関と相互相関の和に分解した。HF域のS ( ) には、主に同じ残基内原子間の空隙の体積ゆらぎによる正の自己相関が寄与していた。一方、振動帯を示すIF域の S ( ) には、同じ残基内の空隙と共に、隣接する残基間の空隙による正の体積ゆらぎ相関が大きく寄与していることが明らかになった。特に、振動成分に寄与する体積ゆらぎの残基間相互相関は、隣接残基間で最大であり、残基間距離の増加とともに急減していた。全体積ゆらぎにおける、隣接する二次構造要素間の体積ゆらぎ相互相関成分の寄与率は、振動成分のピーク位であるf = 0.7-1 THzで最大になることが分かった。これは、隣接する二次構造要素間の空隙体積が振動的に変化するような分子内運動が、振動成分に寄与する重要な因子であることを示している。室温での振動帯は、低温で鋭いピークを示す多数の振動モードが、温度上昇と共に広幅化して裾が相互に重複し、見かけ上幅の広い1つの振動モードのように見えるものであることが明らかになった。水中では、真空中よりも更に広幅化が進むと共に、LF域のS ( ) が増加する。これは、この振動運動が、溶媒水による熱擾乱と減衰作用を受けることを示している。LF?域のS ( ) には、近接残基だけでなく、より離れた残基間での正負両方の相互相関が有意に寄与していた。すなわち体積ゆらぎのLF成分は、タンパク質分子全体に及ぶ大局的な構造ゆらぎに起因する。

 タンパク質は,生物の生命を維持する上で必要な多くの機能を担う生体機能高分子である。球状タンパク質の天然構造は,自発的な形成を前提として設計されており,ぎりぎりの安定性しか持たない。その結果 天然構造は,熱擾乱により常に揺らいでおり,文字通り動的な構造である。従って,その機能発現の分子機構を解明するためには,タンパク質の構造ゆらぎの静的及び動的特性の解明が必須である。本論文は,水溶液中の5種のタンパク質, ?-lactoglobulin, cytochrome c, lysozyme, myoglobin, ribonuclease Aについて行った分子動力学シミュレーション (MDS) から,タンパク質の構造ゆらぎの特性を明らかにすることを目的としている。
 第1章では,分子体積のゆらぎと水和効果の解析による,タンパク質の部分圧縮率の推定について述べている。分子体積のゆらぎの大きさから推定したタンパク質の固有圧縮率は,従来の予測値よりもずっと低いことが分かった。また水和水の寄与を評価して推定したタンパク質の部分圧縮率の値は,実験値をよく再現した。その結果,タンパク質の軟らかさを決める因子として,従来説の水和状態の差ではなく,分子内部の空隙体積ゆらぎの相互相関が重要であること,また分子内空隙は会合性液体並の軟らかさを持つことが明らかになった。酵素タンパク質の機能向上への手掛かりを得ることを目的として,糸状菌Trichoderma reesei由来のセルロース分解酵素,EGIIIについて同様のMDSを行い,推定された固有圧縮率から,EGIIIはかなり硬いタンパク質であることも明らかにしている。
 第2章では,分子体積のゆらぎの自己相関関数と周波数スペクトルの解析による,タンパク質の動力学的特性について述べている。近年,タンパク質の非弾性中性子散乱実験から,1 THz近傍の固有振動数を持つ内部振動モード'Boson peak'が発見されたが,その生成機構は未解明である。申請者は,MDSによる体積ゆらぎの時系列データの解析から,同じ周波数域に振動成分があることを見出した。1THz近傍にピークを持つ振動帯を与える体積ゆらぎは,主に,分子内部で隣接する残基間の空隙体積が,振動的に変化するような分子内運動に起因することが明らかにされた。この振動的な体積ゆらぎの残基間相関は隣接残基間で最大であり,残基間距離の増加と共に急減する。室温での振動帯は,低温で鋭いピークを示す多数の振動モードのスペクトルが,温度上昇と共に広幅化して,見かけ上1つの振動モードのように見えるものであること,溶媒水は熱擾乱と粘性効果により振動運動の寿命を短くし,タンパク質分子全体に及ぶ大局的な構造ゆらぎを亢進することが明らかにされている。
このように本論文は,タンパク質分子の構造ゆらぎの静的・動的特性の解明に大きく寄与するものであり,工学上及び工業上貢献するところが大きく,博士(工学)の学位論文として十分な価値を有するものと認める。

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